期日:2016年12月17日(土) 13:00-17:00
会場: 日比谷図書文化館4階 スタジオプラス
参加人数:
参加者27人(内、初参加10人)
運営事務局:kok、バタヤン、カワ
とてもよい天気の土曜日。「縄文時代の世界観・リーダー像」に興味のある多くの皆様に集まっていただきました。とうりょうさんの挨拶の後、kokさんの司会でライブがスタート。今回約半分の方が初めての参加ということで、いつもと趣向を変えて、最高の居場所コミュニティの紹介は、常連の方に質問形式で答えていただく形をとりました。
・このコミュニティの目的は? →はたらく場を最高の居場所にする。
・その目的をどうやって実現するか? →3つのバリュー「持ちより」「つながり」「編集・活用」を継続していくことで実現していく。
・具体的にどこで実践するのか? →最高の居場所ライブで実践する。
<チェックイン>
参加者のみなさんにおひとりづつ、自分のニックネームと「今日の期待」についてお話していただきました。
・縄文時代が優しい時代
・想像のつかないテーマ
・惹かれるものがあった
・1万年も平和な時代のリーダー像
・縄文時代のイメージが湧かないので興味があって
・いときょうさんのfacebookを見て
・一年を振り返る
・言霊を大事にしているので
・縄文時代を学ぶ
・タイミングがあったので前から来たかったから
・1万年つづいた平和な暮らしはどんなだった?
・九州から来ました 日本人のルーツを知りたい
参加者のみなさんの期待が盛り上がったところで、いよいよ今回のゲストいときょうさんの登場です。椅子の並びをサークル形式から教室形式へモードチェンジし、5種類の資料(ホツマ系図、ヲシテ文字とアワの歌、旅行新聞、ホツマ関係のパンフレット2種)を配布しました。
【いときょうさんのこれまでの活動の経緯】
2012年3月24、25日三重県二見ヶ浦、賓日館で「ホツマツタヱサミット」を行い、ホツマツタヱを研究する人が全国から150人集まった、との報告から講演は始まりました。
サミットに集まった参加者は、仲間とつながったことで、ホツマツタヱを学び発信することに勇気を持ちました。また、2016年11月には、琵琶湖の高島という場所でホツマ発見50周年のフォーラムを行ない、延べ450人が集まりました。日本人は集まると力が生まれるようです。最近は、NHKの特集があって 三内丸山遺跡が紹介され、縄文時代がハイライトされています。
東洋大学教授・島川先生から「ホツマをやるなら縄文観光でやるしかない」とアドバイスをいただき、縄文観光を継続しています。縄文観光は、神社巡りを中心とする観光で、説明よりも縄文を感じてもらう旅となっています。神社は日本で8万近くある。この方法ならホツマツタヱを認知してもらうのに歴史学者とぶつかることはないですから。
今までの定説では、縄文時代というと、矢じりを持って毛皮を着ているイメージですが、ホツマでは、ちゃんとした服装があることがわかって、衣装が現代と比べて、大きく変わってないと思われます。
【ホツマの系図】
紀元前5,000年前、縄文海進の時代、当時の日本は亜熱帯で、氷が溶けて海が内陸に入り込んでおり、東北地方が一番住みやすい場所だった。そのころ人々は竪穴式住居に住み、栗の木を植えていた。その前は洞窟などに住んでいたが、争いが起きていたと思われる。その対応として、竪穴式住居のそばに、人が集まる集会場のような建物を作って、話し合っていた。
国常立(くにとこたち)
国:中国から伝わったのは國、戈(ホコ)という字が入っている。ヲシテ文字のクニとは概念が違う。漢字の訓読みが、縄文時代に使われていた言葉。
神社に「千木(チキ)」と云うものがある。Y と棟持柱(もちばしら)。トの教えの象徴。後に勾玉と言うものになった。勾玉は、見える世界と、見えない世界を表す。
三種の神器の勾玉とは、トの教え(つくす、やわす)と、心をスナオに。
スナオな精神:リーダーの考え方で国の形が決まってくる。
今の天皇も、祈りと思いやりで国を守っている 。その心は縄文の頃から変わらない。
京都の亀岡に、国常立を祀っている神社がある。
千歳山の麓、出雲大神宮には紀元前1万年創設と書いてある。
国常立の子供に8人の皇子がいた。彼らは清らかな場所に国を開いた。
この人たちは、世界中に広がっているかもしれない。
中国にアカガタという地名があり、そこの指導者トヨクンヌの子孫にウケステメと言う人がいる。この方は西王母と呼ばれて 日本に来たことがある。その時に桃をみやげとして持って帰った。「桃源郷」の言われになっている 西王母は道教を開いた。
【ホツマツタヱ】に話を戻します。
松本善之助さんが、神田の古本屋さんでホツマツタヱを見つけた。この方が今から五十年前に神田の古本屋で、古代文字の冊子を見つけた。この冊子から小笠原家が、この文書を研究していることを知る。冊子の作者である小笠原家の人が四国の宇和島で研究しているのがわかった。松本さんは、四国の小笠原家を訪れ、家の中を探してホンマツタヱの研究書を発見した。当時の小笠原家の方々もその文献があるとは思っていなかったので驚いた。その後、平成4年に琵琶湖の高島の地にある日吉神社の神輿蔵からホンマツタエが全巻見つかった。
井保勇之進(ワニコ)さんが、日本全国の神社を巡って古代文字の研究を行なっていた。
本居宣長は、古事記の中で大和言葉を研究をしていた。
この時代、漢字以外の文字を使う人は、研究者として認められなかった。
ホツマツタヱは、奇跡的に保存されている文献だった。
箱根神社などの神社からも、ヲシテ文字が見つかっている。河口湖の御師(おし)を行なっている家からも見つかっている。
ホツマの文献は、滋賀県高島市で認知され、そして教育委員会が動いて正式に認められるよう議会で諮り、ホツマを今後どうするのか話し合われている。
いときょうさんは、ホツマを英訳して広めようとしている。「日本を知っていただくいい機会かなと思っている」とのこと。
<休憩>
【いときょうさんへの質問タイム】
・ホンマツタヱとは、どんな意味ですか?
→ホツマとは、本当のことが詰まっているという意味です。
六甲山(ムカツヤマ)に六甲姫(ムカツヒメ)の祠がある。(六甲カンツリーの入り口の近くにある)。人は死ぬ時に祠に入って死ぬ。ムカツ姫は天照大神のお后(天照大神は、男性と考えられている)。
縄文人の考えるビッグバンとは?
→グルグル渦巻いている。その中心が息の柱となって上方に跳ね上がり、次の渦を作る。
中心から左回りの渦が陽、男、ヲ。
右回りの渦が陰、女、メ
母音 ウツホ、カゼ、ホ、ミヅ、ハニの五元素からなる
子音 :種、光、道、仲良し、五元素のエネルギーを下にさげる 等
古代人の考える宇宙。人間は欲を持っている。死ぬとタマは宇宙の中心に帰り、また新しい体に入る。人と人をつないで幸せにする。魂を繋ぐ。
・ホツマは、天皇家のことを書いてあるが、どうして現在残っていないのか?
→江戸時代まで仏教と神道が一緒だった。明治に入って不可思議なものは認めない様になった。
みなさん神社に行ったら、鳥居をくぐって社の裏を見て欲しい。奥の宮まで見て欲しい。ご由緒書きを見ると、そこに神社のいわれが書かれているので見て欲しい。
ホツマの意味は、本物が詰まっていると言うこと。ツタヱとは、それを伝えること。オオタカネコが、ホンマツタヱを編纂した。ヤマトタケルが九州と関東に遠征したが、伊吹山で怪我をし、死ぬ前に天皇に日本の歴史を残す様に依頼し、オオタタネコがまとめたもの。これがホツマツタヱ。
【自分の名前をヲシテ文字で書いてみる】
ヲシテ文字一覧表を見ながら、ヲシテ文字で自分の名前を書いていただきました。みなさん、自分の名前に新たな意味を見いだせたようです。
・3種の神器
「勾玉」、「劔」、「鏡」
「劔」は警察の役目
「鏡」はヤタノカガミ。国民の心を入れた鏡
イワクラ(磐座)の謂われ。そこで最後の欲、食欲を無くすことで、タマに思いを込めた。
イワクラ(磐座)があっても神社がないところはいくつもあるが、その関係は?
丹後の峰山。天照大神と豊受神が、亡くなった場所。
君が代のキミとはキ(男)とミ(女)の意味。
千代に八千代に、と
さざれ石の巌となりて苔のむすまで、は
両者は同じ意味。永遠ということ。
君が代は、男と女が結ばれて、子孫が永遠に続いて行く様を描いた歌。
縄文の教えは、良き指導者の下にルールを守る世界であった。そこに妬みの心などのマイナスの心はあったが、ルールに従って対応する事で、国の体制が保たれていた。
【声に出してヲシテ文字を感じよう】
全員でビックバンの発音をする。
最初は”ウ”、次に男性が”ア”、女性が ”ワ”を同時に発声する。
次に「アワの歌」を全員で歌う。
皆様には是非神社に行ってほしいと思います。
私も神社に行った事で、いろいろなことがわかりました。
神社巡りの企画をしていますので、後日連絡させて頂きます。
いときょうさんには、終了後の懇親会でも、参加者のみなさんの質問に熱心に答えていただきました。
そのうえ、なんと、店の前で「アワの歌」まで披露していただきました。
=====参加者のみなさまの感想:心に響いたこと、持ち帰り活用したいこと(アンケートより抜粋)=====
・偶然のような繋がりが沢山あって面白かったです。ヲシテ文字の意味等、自然や融和を感じさせ共感しました。(えりさん)
・タマシイは魂と肉体。縄文時代に宇宙観やビックバンの思想があったということ。人間とは何かを考えさせられるライブでした。神社に行ってみようと思いました。(SOL)
・古代文字のロマンを紐解くことが出来て、かみのくにの話を伺うことができました。神社の神主さんの祝詞のように、自分もアワ歌を唱えることができて、音が心に感じ入りました。(あけぼん)
・カガミのガをとりカミに近づくことを意識して行動したい。とても興味深く本などでホツマを学んでみます。(Y.Kさん)
・縄文時代が栄えたのは融合の教え(トの教え)が重要だったということ。自分の陰陽を融合させること(陰の部分の自分も受け入れること)(コージ兄)
・縄文の教え→対立するものを1つにして国づくり。融合が大事だということ。(山口芳子さん)
・カミが指導者という意味であったこと。指導者のあり方として「我」を捨てるということ。(乾宗弘さん)
・物事を二項対立で考えないようにする。対立するものに価値付けをしない。民(部下)のことを考えて行動する(もし自分が上に立つ立場になったら)。(かんな)
・神社と日本人のつながりの深さ。(えが)
・アワの歌を歌おうと思った。(E.Aさん)
=====ゲストいときょうさんへのメッセージ(アンケートより抜粋)=====
・叡智に満ちたお話をありがとうございました。ホツマについてお話くださるいと先生が国常立のように感じます。これからも世界に向けての活動など楽しみにしています。(Y.Kさん)
・これまで解明してくださったことが、これからも大勢の人に影響を及ぼすと思います。近所の神社を訪れたいと思います。ありがとうございました。(えり)
・迫害を受けるかもしれない、それでも自分が興味を持ったことを探求されたことに感銘を受けました。(山口芳子さん)
・縄文人の研究内容から、日本人のメンタリティーのコアを知ることができました。ありがとうございます。(木越省吾さん)
・ありがとうございました。資料がとてもしっかりしていて、お話もとても聞きやすかったです。(かんな)
・もっと学んでいきたいと思いました。(E.Aさん)
・ホツマの教えを世界に広めてください。(コージ兄)
・もっと研究を進めてください。(えが)
・生活の中に今日学んだ事を生かしていけるようにします。(M.Tさん)
====ゲストプロフィール====
一糸恭良(いとやすよし)さん
1949年東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。会社経営。2005年7月16日、妻と共に若狭彦・若狭姫神社(福井県小浜市)を訪れ、神社のご祭神が日本の成り立ちを記したヲシテ文献の一つ「ホツマツタヱ」と深く結び付いていることに感動。その後、日本各地を旅しながら、ヲシテ文献「ホツマツタヱ・ミカサフミ・フトマニ」の研究と執筆を続けるようになる。”いときょう”のペンネームで、「やさしいホツマツタヱ」「古代史ホツマツタヱの旅(全5巻)」など、著書多数。
ホツマ出版ホームページ
以上、12月ライブ事務局は、カワ(川口弘美)、バタヤン(川端健一)、kok(小久保和人)でした。